『人格否定』と『意見に対する否定』は違う

こんにちは

SYOTAです^~^

 

よく意見交換をしているときや議論しているときに、自分の意見を反対されてシュンとなる人がいます。

その意見が、議論の中では解決策には沿っていなかっただけなのに、自分を否定されたと勘違いしてしまう。

ここで知っていてほしいのは、『人格否定』と『意見に対する否定』は違うということです。

 

「人格否定」はその人の存在自体を否定することになるので、言葉の矢印がその人に対して向いています。

例えば、「生まれてこなければよかったのに」や「性格が悪い」などの表現で、汚い言葉になります。

 

しかし「意見に対する否定」は、焦点が議論の中なので、問題解決や未来創造に対しての会話になります。

 

なので、発せられた言葉の矢印がどこに向いているのかを見極めましょう。

 

そして、人格否定をしている人は、自分自身の存在も否定していることにつながっているんじゃないかと思っています。

少しスピリチュアルな部分になりますが、その人と出会っていることで自分の存在も証明できるひとつなのに、出会ったその人の存在を否定してしまうと自分がそこにいなかったことに繋がるのじゃないかと思うので、自分の存在価値を自ら否定していることになると思っています。

 

人間関係なので、イヤなこともあるかもしれませんが、存在否定や人格否定につながる表現は避けたほうがいいと思っています。

もし、勘違い、思い違いをしている人がいれば、教えてあげるとその先の人生や人間関係が少し変わるのではないかと思います。

 

このブログを読んだ人の人生が少しでも豊かになれば幸いです。

では、次の投稿をお楽しみに^~^

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